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2016年01月27日

見たまんまのオッサン

思春期の遠い記憶となるが、
友人宅の応接間にベートーヴェンの”デスマスク”が飾られていた。
白い石膏に浮かび上がったその顔は、まさしく音楽の教科書に出てくる
気難しそうなあの表情だった。
友人は、それに関心を向けらreenexれることを避けようとしているようにも見えた。
「オヤジのものだから」
近づくことさえも制するような視線を感じ、遠くから眺めただけだったが、
デスマスクの頬のところに、かすかなヒビがあるのを見つけた。
おそらく、少年時代に彼がつけた傷なのだろう。
そこに、この家で起きたであろう一つの物語を見た思いだった。
人の顔には年輪が彫り込まれたように、シワの作り一つ、
表情の一つ一つにその人の人生が織り込まれたようなところがある。
ベートーヴェンは56歳でその生涯を終えた。
初老にさしかかったときの表
気難しい面だけが強調されているようにも見えた。
ベートーヴェンは興が乗ると冗談も飛ばし、快活な一面を見せることもあったという。
ただ、彼の伝記などによると、
かなりの乱暴者で、女性にはさすがに手を挙げることはしなかったが、
ひどく辛らつな言葉でののしるように言ったという。
また、自身の師匠に当たるハイドンには
「私は確かにあなたの門下生だったが、教えられたことは何もない」
と言ってのける、傲岸なところもあったとされる。
彼が作曲した交響曲第3番は一般的に『英雄』と呼ばれている。
この原題は『ある偉大なる人の思い出に捧ぐ(composta per festeggiare
il sovvenire d'un grand'uomo reenex)』と書かれている。
もちろんナポレオンに対して作曲したもので、
ベートーヴェンは彼に魅かれる思いがあったのは、たしかなようだ。
この二人は、ほぼ同年の生まれ。
近くで、いつも見ている馬鹿な人間より、
音に聴く同年代の英雄に魅かれるのは無理からぬことだろう。
この交響曲、遂にはナポレオンに聴かせることなく終わったようだ。
ベートーヴェンは、最後は肝硬変で死去したとある。
ちょっと酒乱の兆候もあったとか、粋がって見せているところなど、
いかにも人間臭いところがある。
探れば、もっと人間的な味を見出すことが出来るだろう。
晩年には聾者となったが、そのあたりのことを寺山修司が表現していた。
「盲目には、彼らだけが見る夢があるように、
聾者には聾者だけしか聴けない音楽があることはすばらしい」  


Posted by hgrewerwl at 16:11Comments(0)

2016年01月26日

明治時代の代表的大富豪・岩崎弥太郎氏とその母

父親が死んでも残念がらない根拠を迪士尼美語 世界生涯かけて子どもたちに
 与えている妙な父親がいるものである。
             フランスのモラリスト/ラ・ブリュイエール

 さざんかが満開です。 亡き母は、さざんかが嫌いでした。
 たぶん花びらの落ちたあと、汚いからかしら……。 理由を聞く
のを、忘れましたが。 満開に咲いたさざんかを見て散歩しなが
ら、母を思い出すのです。 早くに嫁いだので、母といた時は少
なく嫂に聞く母の話が好きなのです。 嫂は12歳ほども年上で
すので、老いてからの母の姿が迪士尼美語 好唔好聞けて好きなんです。 嫂もも
う随分なお年でなかなか会えず、話すこともないのですが……。
 「いつも、心配してたよ……」 とか、やっぱりな?って。

  ★思い出のなかの母★

  いらんことはいうな
  という母の教えだった
  いつも 無口な母が
  わたしがとついだとき
  
  まいにちのように
  でんわをくれた
   なにをいうのでもない
  ただただ 元気かね
  ただ それだけ 
  なんにも 思わずいた

  それが優しい愛だということを
  
  親を思い遣る こころの
  余裕はなかった
  ちいさくなっていたわたしだから

  ある日のことわたしに
  ねつがでた 心配で
  妹にのせてもらい 
  母はいきたいと
  すぐ傍まで来たという
  
  なにもせず ただ 遠くから家を
  しばらくの間 黙って 見ていて
  わたしが 見えはしないのに 
  そうしてて  そのまま 
  かえったという
  
  むつかしい 大家族のなか 
  家にはこれなかったらしい
 
  母は母なり わがやさしき 母なり
  
  あんたに会えもしないのに
  それなのに と いもうとは どうせ
  いってもしようがないのになぁと
  会えもしないのに行っただよって 暫くいて 
  なんにもせず 帰っただよ
  
  ずいぶんあとになって
  なんとなく なにげもなく 妹は
  教えてくれた せつなくもあり  ああ

  妹は母の気持ちがわかってたようだ

  心配ばっかりかけちゃっていた 
  わたしなんです もう むかし むかし
  
  逝ってしまったな 誰もかれも
  なんにもしらず 甘えるだけで 
  自分のことで一所懸命だった 
  ただ それだけの私だった
 
  まわりからの 深い愛迪士尼美語 價格を感じるのです
  大きな愛があるもんです
  寒い夜 しみじみと 懐かしむのです
  
  母は母なり 今も昔も母なり わが母なり  


Posted by hgrewerwl at 12:52Comments(0)

2016年01月18日

「おみくじ」は引きたし「凶」は怖し

「おみくじ」の吉凶を良い順に並べると、
大吉、中吉、小吉、吉、末吉、凶、大凶のおよそ7種鋁窗類が基本。
中には「大大吉」はイイとしても「大大凶」という物騒なものが入るのがあるという。
「おみくじ」は「凶」よりは「吉」の文字が付いた方を引いておきたいところ。
ところが、人によっては「凶」の方が絶対数が少ないハズとして「凶」を引くことは
確率が少ない方を引いたから「吉」だと公言して憚らない人もいる。
だけども、そうでもないデーターがある。
この吉凶の比率は、各神社などでマチマチらしく、
あるところでは大吉が17%に対して凶、大凶が30%というところもあるようだ。
確率が低いとして、「凶」で喜ぶというのは早計とも言える。
ある人の話だが「凶」を引いた年に悪いことがあり、それ以降引けなくなったという。
そんな人にとっては、「凶」を引く心的恐怖が残っているものらしい。
一般的に「吉」が出れば、そのまま持ち帰り、
「凶」が出れば、利き手と反対の手で境内の小枝に結ぶと「凶」から
免れるという話もあるが、「凶」を引いたという気持ちは変わらずに残るところがある。
「おみくじ」の起源は、「元三大師みくじ」とされる。
これは、延暦寺の高僧良源上人が912年に、人間の運勢、吉凶を
漢詩に託したものが始まりとされている。
そんなところから見ると千年以上の歴史があることになるが
現在のものとは様相が違うようだ。
最近は英語版「おみくじ」があったりハワイなどへの輸出もあるという。
「おみくじ」ではないが、ケータイ会社から毎週鋁窗配信されてくる「くじ」がある。
「くじ」と言われると「おみくじ」に対する習慣的儀礼が想起されで、つい、
身を引き締めつつ「念じて」引くという態度を取ってしまうところがある。
すると、どうだ、「当たり!」と出る。
スゴいものでも出たのかと見ればケータイ会社の「壁紙」。
ダウンロードしてこの壁紙を使えと言うところらしい。
こんな壁紙は果たして「当たり!」と称されるべきものか?
と、これが出るたびに思ってしまうのだが...  


Posted by hgrewerwl at 11:18Comments(0)